XANTHUS



の愛車だったXANTHUSの歩みなのサ!
聞いて(読んで?)くれる?

俺はある夏、愛車の“XANTHUS”で東京に行くことにした。
と、言うのも俺は昔(あぁ、既に十年経ってますよ)
東京の三鷹市に住んでいた。
東京の三鷹で何をしていたかと言えば、新聞配達をしていた。
ただ新聞配ってたわけじゃなく学生でもあったのだ。
そう、いわゆる“新聞奨学生”と言うやつだ。
で、その時の友人に会いに行こうと言うわけで、
俺の東京行きは決定した。
その友人の1人を紹介すると(リクエストがあったんで)
大将軍吉野様(これでいい?)と言って(言わないかも)
俺に音楽の事とかを色々教えてくれた人だ。
その辺の事は別の機会に書くかもしれない。
ところで、三鷹市のどこに住んでいたのかというと、
井の頭に住んでいた。京王井の頭線三鷹台駅の近所だ。
で、東京に行くことにした俺は友人ぽいさくさく
「東京っちどうやって行くん?」
と漠然と聞いてみた。
すると、
「お前そんなん簡単やん。考えることなんかあらせん。
 3号、2号、1号、東京やん!」
と言う凄くいい加減な答えが返ってきたのだが、
それに納得してしまった俺も俺だと思う。
後で、大後悔したけど・・・。
んで、出発の前の日明け方まで“ジョイフル”で
飯食って友人と話し込んでたんで家出たのが10:30ぐらい。
当面の目標は“明るいうちに広島通過”だった。
その“ジョイフル会議”の時に友人らに
「広島は族とか多くて他県ナンバーは危ないから
 明るいうちに乗り切った方がいいかもしれん」
と、偏見(ですよね?広島の皆さん)入りまくりの意見を
素直な俺は純粋に受けとめたためだ。
そんな俺にいきなり難関が襲いかかった
(ってほど大袈裟なもんじゃないが)
関門トンネルである。
関門トンネルは非常に混む。
そんな混みまくった排ガスだらけのトンネルの中に
長い時間いたもんだから、もう九州脱出したとたんに
気分悪くなっちまって前途多難な感じ。
んでもって
「なんとか陽のあるうちに広島を抜けれそうだな」
とか思っている俺の前に現れられたのは・・・
特攻服に角材所持のお兄さんらだった。
そのお兄さんに気づかれんように走ったつもりだったけど、
やはり見つかりピタリと後ろに憑かれてしまった。
誤変換ではない俺の気持ち的には“憑かれた”だ。
俺は「ああ、俺広島に沈む?」とか考えたが
お兄さんらは突然歩道に乗り上げ
そのままどこかに行ってしまった。
「俺助かってるよね?」
俺に聞いた俺は俺が俺であるのを確認後、
何故助かったか考えた。
ナンバーが“北九州”だったからか?
ロン毛で女に見えたから?
旅行者に優しい?
色々考えたけどわかんねーので気にしないで先を急ぐことにした。
何とか明るいうちに広島を抜けた俺は
一安心でここいらで休憩でも入れるか?
とか思っていたらちょっとした渋滞に巻き込まれ
それどころじゃなくなった。
そうこうしているうちに暗くなってきたんで
「今日はこの辺で休むか」とか考えたら
とんでもねぇ事をしでかした(正確にはし忘れた?)
事に気づき呆然としてみたけど
どうにもならないので開き直った。
何をしでかしたかというと宿(って言うより寝る場所)
を何も用意(考えて)無かったのだ。
寝る場所を失った(いや、用意してなかった)俺は
「なら寝ないで走るだけサ。フッ!」
ってなんと無くカッコつけてみて
「俺ってワイルド?」とか浸りながら
後でどうなるかとか考えもせず
(今回も前回もいつも全開でそうなんやけど)
ひたすら走り続けた。
しばらく全開走行(あくまで“安全運転”であることを
強調していきたい)していると、
車も減ってきて終いにゃあ車も人も居なくなった。
地名なんか“3号、2号、1号、東京!”
な俺には判るわけもない。
で、やはり眠くなってきたわけだが
あまりにも俺だけ(変な表現だが車も人も本当に
居ないんで)なもんで走るのが楽しくて
眠気も忘れて攻めまくった。
だが、やはり俺も人の子であるわけで
疲れたりもする。ああ疲れるさ。
そこで俺は「今日中に大阪に着こう」
と新たなる目標を立て自らを奮い立たせて
(無理しないで休めば良いんだが
 奮い立ちたかったんだきっとその時の俺は)
またアクセルを開けた。
全開で進む俺の前に現れたのは
例の如く(か?)渋滞であった。
渋滞を華麗(なのか?)に
すり抜けていく俺はまた自分に酔った。
断っとくが俺はナルシストでも
某バンドのヴォーカルR一でもない。
そうでもしなけりゃ俺精神力がもたねーからだ。
休憩なんか既に俺の中には無い!
そうしているうちに渋滞を抜け
流れがスムーズになってきた。
気持ちよく走る俺の目の前に突然!
紅い車が飛び出してきた。
「うぉっ俺岡山にて激突死?
 って言うかここ岡山か?」
等とは微塵も考えずに
実に見事(いやぁ我ながら)に
その紅い車をかわした俺は
その車の真横につき力一杯睨み付け
・・・ようと思ったけど恐い兄ちゃんが
4人乗っていらっしゃったんで速やかに諦めて
凄い速さで敵前逃亡。
「ハートの弱い少年の瞳を持つと言われる
 (本人が勝手に言っているつまり自称)
 村政さん(20代、独身、痩せ型)だから
 しょうがないよね。」
とかビビリ屋さんの自分を慰めながら
更に大阪を目指すのであった。
「だってサ俺の目的は
 “生きて無事に東京に到着”
 だもんね。」
とまた自分を慰めてみる。
そんなこんなで後は以外と何事もなく
やっとこさ大阪入り。
さて、大阪入りした俺だが
車の多さにビックリした。
時間も時間だったし
(確か20:00〜22:00曖昧だが)
週末だったうえなんたって大阪は
“都会”だからかな?とか考えながら
そろそろ現れるであろう1号線を捜した。
しかし大阪の街は甘くなく
俺には大変厳しかった。
中央分離帯にはフェンスが張られ、
Uターンが出来ないし
車線は多いし車は多いし
おまけに人も路上駐車も多い。
うろうろぐるぐる回っているうちに
ガソリンが減ってきたんで
GS(ガスステーション)に入り給油。
その時に
「東京方面に行きたいんですが
 どう行ったらいいんですか?」
とスタンド兄ちゃんに尋ねたところ
とても親切に且つ解りやすく教えてくれた。
苦労の末大阪脱出した俺は
相変わらず疲れていた。
「ありがとうスタンド兄ちゃん」
そうお礼を言いながら(心の中でよ)
次なる目標を“名古屋”に定め
また走り出した。
頭の中では
「どっか寝るとこねぇかな」
とか考えながらだった。
「そうねあれは夜も更けてきた頃だったね」
しばらく走って
疲れもピークに達した俺は
「そろそろ寝ないと危険だな」
と思ったりもしたがやはり
寝る場所なんか無いので
今夜は野宿ですなぁって感じで
そんな場所を捜していると
大変いい感じの峠道とかに入っていた。
しかも車も少なく(っていうか俺しか居ない)
こんな状況前にもなかったか?とか考えながら
まだ寝れる場所を求めていた。
・・・でもね、峠道で車が居なくて
夜だし涼しいし、しかもいい感じなんだよ。
これは走るしかねぁだろ。おい。
「今のうちに距離をかせいでおくかな」
なんて考えてしまったわけですよ。
あとで思いっきり大後悔するんやけど。
勿論その時点ではその考えがベストである
そう信じて疑わない
村政さん(以外と寂しがりや?)は
やっほーって疾走してました。
もう身体は限界に近かったかも。
そうして、攻めたり流したりしながら
夜通し走りまくった俺は日が昇る頃には
次なる目標“名古屋”に到着していた。
平日なら通勤ラッシュに巻き込まれて
車群の藻屑となっていたことだろう。
そんな(どんな?)非常に天気の良い
日曜の朝だった。
しかし、いや、やはり俺は疲れていた。
当然ちゃぁ当然である。
当たり前田のクラッカー(死語)。
疲れまくって自分の犯した過ちに気づいた。
で、もう引き返そうと思った。
しかし、ココはほぼ北九州〜東京の中間。
このまま進んでも戻っても距離は同じである。
そこで疲労で弱りまくったマイブレインは
ある答えをたたき出した。
「じゃ、名古屋に住んじゃえ」
真剣に考えた。
つまりそのくらいマイブレインは
弱りまくっていたのである。
(ずっと読んでこられた方は俺の脳が
 普段もあまり強くない事にお気付きでしょうが)
で、泣きそうになりながら(マジ)
取りあえずはバイクを歩道
(って言うか脇道みたいな広いところ)
に移動して休憩をとることにした。
いくら天気がいいと言ったって
明け方の寒さはよりいっそう俺を弱らせた。
そんな寒さのなかで
「風呂入って寝かせてくれぇ」
とか考えながら歩道脇の花壇に座って
しばし眠った。
しかしながら相変わらず天気は良かった。
ふと目を覚ますと小一時間ほど経っていた。
そしてもう一度ココ(名古屋)での就職を
やや真剣に検討してみた。
「でもやっぱ東京とか行ってみたいし〜」
と女子高生ぽく決めた俺は
やはり東京を目指し走り出すのだった。
もう自分が何処を走っているか、いや
自分が何をしているのかさえ
解らなくなっていた。
頭の中でただひたすら
「1号線。一号線。・・・」
そうつぶやき続けながら走っていた。
どのくらい時間が経ったかもわからないが
既に限界を超えていた俺は
また歩道にて休憩。
しばらくたってまた何かを絞り出すように
再び走り出した。
しかし人間結構丈夫なもんで
日が昇るにつれ俺の身体も何とかなってきた。
(実は何とかなってきた気がしていただけ?)
そうこう(だからどうこう?)してたら
俺は静岡に入っていたらしい。
何故かはわからないが車が少なく、
又ガンガン走って距離を稼ぐのであった。
「静岡はサッカーの街だ」
突然だがそう思った。
思ったんだから仕方ない。
でも“ようこそサッカーの街磐田へ”みたいな
ことを書いた看板を見た。
確か磐田だったはずだ。
でもその前に磐田が静岡県なのかも知らない。
サッカーの街だからスピードを出しまくった
と言うわけではないがもう既に
俺脳では一号線と東京が巡っているだけで
色々考えられなかったんだこれが。
もうそんな感じなんで
あまりその辺りの記憶はない。
何処をどう走ったのか
(よく考えなくても一号線を
 道沿いに走っただけだったね)
気が付いたら箱根の
入り口にさしかかっていた。
なんだか得したような
損したような気分の俺だった。
「いや、これは得してるよ。うん。
 ビミョーにね。」
そう自分を説得し終わった俺(この間2秒)は
いざ箱根の気構えでペダルを漕ぎ始める
つもりだったがペダルなんか無いんだよね。
気を取り直してアクセルを開けるのだった。
これは後で聞いた話しだが、
大将軍吉野様はこの箱根を
チャリで越えたらしい。
すごいね。
んで、箱根の道は楽しく
日曜日という事もあって
活気があった。
「ココはひとつ俺の華麗な走りを披露するか?」
とか自信過剰気味な俺は思ってみたりしたが
どちらかというとその時の俺は
華麗でも何でもなく
ただの“疲労”だったので(笑うところ)
無事に東京に着くことのみを考えて
安全運転を心がけた。
心がけてはいても疲れて意識が朦朧とし
本当に安全か?な状態ではあったが。
何はともあれ峠を登り切ったのであった。
なんかイメージは“峠の茶屋”って感じで
俺は大変好きである。
なにがって箱根である。
「んじゃ後は下るだけだね楽勝」
とか考えていた俺は毎度の事ながら
甘かったらしい(当社比)。
ずっと下ってはいるのだが俺の心に
何かしら引っかかるモノがある。
それでも進み続けていると看板が現れた。
何処行きと書いてあったかは忘れたが
それは俺の目指すべきところとは違っていた。
すぐさまドリフトターン(大嘘)きめた俺は
来た道を引き返して峠を登りきった。
また峠の上からやり直し気分は
「魔の峠箱根気分は振り出しに戻る(大袈裟)」
であった。
再び箱根の峠を登り切った俺は
またまたGS(ガスステイション再び)にて
「東京に行きたいんですが
 どうやって行けばいいんですか?」
とか質問したところ
やはり親切に道を教えてくれたので
「ありがとうスタンド兄ちゃんリターンズ」
である。言うまでもないが心の中でね。
今度はうまく行った。
きちんと峠を下れた。
途中箱根に勝負を挑みに来ている
単車乗りを多く見かけ羨ましく思った。
ヘロヘロのままなんとか天下の険を
越えた俺が目にした驚愕(誇張表現)の
風景とは!
神奈川(だと思う)方面に向かう
サーファーと観光客との大渋滞であった。
「もう渋滞はノーサンキューね」
そんなことを呟くほどしんどかった。
しかし、進まなければ目的地には着かない。
前進あるのみである。
「なんかカッコイイね俺」
とかほざいていると突如!
(そんなわけはないが)渋滞の脇を
すり抜ける俺の眼前に広がったのは
俺の心を潤したかどうかは不明だが
とにかく海だった。
その辺りまで来るとやや渋滞も
流れを取り戻し少しは走りやすくなっていたが
真夏の高気温が俺から残り僅かな体力を
削り取って行くのであった。
削り取られまくって残りあと僅かですよ。
な俺体力で東京へ向かって進み続ける俺は
もう既に確かな意識はなく朦朧としたまま
ただひたすらに1号線を
東京に向かって行くのみであった。
ひたすら走り続けるつもりだったが
また渋滞に捕まり
「もう駄目だぁ〜」
ってな感じになっちまい
目に入ったコンビニにて緊急休憩。
確か道路を挟んでラウンドワン(ボーリング場)
が在ったような無いような・・・在った。
そこで飲み物とアイスを買って
(アイスが無茶苦茶旨かった)
そのまま遂にダウン。
ブッ倒れている俺の横を
女子高生が歩いていった。
やはり都会の女子高生は綺麗だね。
なんとなく元気になった気がした。
所詮“気がした”程度なので実際には
何の変化もなく相変わらず倒れていた。
・・・すると
見知らぬ男性から
「大丈夫?君、だいぶ顔色悪いけど」
と、声をかけられた。
当然といえば当然である。
北九州を出てから既に二十数時間経過している。
その間風呂にも入らず排ガスの中を走っていたのだ。
顔は煤で真っ黒である。
この俺を怪しまずして誰を怪しめというのだ!
そんな俺を心配して声をかけてくれたのだから
この男性はよほど勇気のある人か
優しい良い人だったんだろう。
そんな男性に
「大丈夫です(嘘相当ヤバい)。
 やっぱり東京は遠いですね。」
と、振り絞るように答えた俺は
かなり堪えていた。
それを聞いた男性は
俺のバイクのナンバーを見て
「九州から来たの?大変だねぇ。
 本当に大丈夫?じゃあ気をつけてね」
と言い残して去っていった。
再び走り出そうと立ち上がった俺だが
延々と目前にて続く渋滞を見て
また腰を下ろした。
・・・数分が経った。
「きちぃ〜。でも行かな着かんしなぁ」
何とか重い腰を上げてまた渋滞の中に
飲まれていくのであった。
なかなか渋滞は終わらなかった。
普段なら延々と続く渋滞に
うんざりするところだが
ぼーーーーーーっと走ってるだけだった。
ぼーーーーーーっと走っていると、
浜松らしき所に着いたようだ。
(本当に浜松か?って言うか何処?此処?)
サーファー(渋滞)とやっとお別れできて
ホッと一息で海を見つめる俺だった。
でもホッと気を抜くと死ぬるくらい
危ない状態になるほど集中力とかその他が
著しく弱まっている俺なのであるからして
一息で見つめると書いた以上見つめた事にした
(じゃあ嘘書いているのか?俺は?
 そうです。嘘です。すみません)が
本当はそんな余裕など無いので
チラッと見ただけなのだ。
んで走っていて気持ちのいい道(なんか凄い表現だが)
を通って気がついたら大田区(だよね?)。
さて、これから大将軍宅までどうやっていくか?
大問題大難関である。
都内は混みまくっていた。
水温も上がりまくって
オーバーヒートを心配しながら
タクシーの運転手さんに道を尋ねつつ
なんでか不本意ながら渋谷に着いた。
何とか此処は避けて通りたかった(諸事情による)。
でも着いたモンは仕方ない。
ここから大将軍宅(武蔵野市吉祥寺)を
目指すことにした。
(北九州出たときから目指していたのだが)
「もうそろそろ風呂に入れる」
そんな予感をさせる夕暮れ時だった。
しかし予感ははずれたらしく(いつもだが)
なんだかよくわからなくなってきた
(道もその他も)ので
新聞屋をしていた頃の先輩S田さんに
電話をして聞いてみた。
「さっきまで渋谷とかに居た感じがしますが
 今俺は何処ですか?」
とか言ったら、親切に道を教えてくれた。
でも俺が何処にいるかは教えてくれなかったらしい。
んで何とかかんとか大将軍宅に到着。
以外と最後はアッサリだ。
と、思ったら大将軍宅を間違えた。
隣の建物に行ってしまい
全然全く御存知無い人ん家に行って
その人に「ひゃぁ」とか
言われて鍵をしめられた。
当然・・・か。
顔真っ黒で煤けた小汚い見知らぬ男が
いきなり現れたら普通は驚く。
武闘派なら殴る。
俺は殴られなくて良かった。
とにかく大将軍宅到着。
おめでとう、俺。
そしてよくがんばったな、俺。
ようやく風呂に入れたわけであった。
お疲れ、俺。

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